リベラル勢力総結集で政権交代!(43)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【経済思考】『歴史の終わり』の終わり“自由主義”へのバックラッシュという死角/ジャーナリスト-佐々木 実》
第2次世界大戦後の「リベラルな国際秩序」が揺らいでいる。これから世界はどこに向かうのか。些か大上段に振り被った質問に、フランシス・フクヤマが答えている。
〈私は(1992年の著書「歴史の終わり」で)「近代化した社会は自由民主主義の方向に向かう」と指摘した。自由民主主義に取って代わる体制はなく、共産主義の復活もないと考えている。だが、この10年、民主主義の後退が起きている。欧米諸国においてポピュリスト(大衆迎合主義者)の愛国主義的な動きが表面化し、トランプの「米国第一主義」は国際社会における中露の発言力を強める結果を招いている。民主主義が発展した国(米国)から、民主主義を後退させるような挑戦を受けることは予想していなかった。〉
フランシス・フクヤマは1952年生まれの日系アメリカ人である。
大阪商科大学(大阪市立大学の前身)の初代学長を祖父にもつフクヤマは、1989年の夏に発表した論文「歴史の終わり?」で注目を集めた。1992年に『歴史の終わり』を上梓し、「ポスト冷戦」のイデオローグとしての地位を確立した。フクヤマが導いたのは、「歴史は自由主義の勝利をもって終焉した」というシンプルな結論だった。
かつてのような全体主義は存在しえないし、共産主義は崩壊しつつある。
もはや普遍的なイデオロギーが自由主義を脅かす事態は起こりえない。歴史とはイデオロギー闘争の歴史であるとしたヘーゲルの考えに基づいて、「歴史の終わり」を宣言したわけである。フクヤマ論文が発表された直後に東欧諸国が雪崩をうって非共産主義化、その後、東側の盟主だったソ連が崩壊したため、「歴史の終わり」説は信憑性をもった。
フクヤマが米国の国務省スタッフだった事もあり、米国の勝利宣言とも受けとられた。
冒頭で紹介した最近のインタビューでフクヤマは、冷戦の勝利者であり民主主義を先導してきた米国が、まさか民主主義を後退させる役割を演じるとは予想できなかったと反省している。トランプ大統領の登場に至る「この10年」とは、リーマン・ショック後の世界を指す。
フクヤマの見込み違いは、自由市場システムを巡る考察不足に起因しているだろう。
フクヤマの論文「歴史の終わり?」が発表されたのは平成元年だった。
フクヤマ説に従えば、平成はまるごと「歴史後」の時代だ。この間、日本の政治は規制緩和に代表される、市場主義に偏った構造改革に勤しんできた。政治的イデオロギーの闘争に基づく軍事的な対立が解消された後、残るは自由市場での競争のみになるという、フクヤマの見立てとも歩みだったともいえる。振り返れば『歴史の終わり』は時代を分析した書というより、この作品こそ時代の産物だった。尤も今、読み返してもよくできたテキストである。
四半世紀前の話題の書を「間違い探し」の視点で熟読吟味すれば、“自由主義”へのバックラッシュが起きた事情を知るヒントが得られるかもしれない。(週刊金曜日)
《【部落解放】部落解放共闘近畿・九州ブロック第32回交流会“支え合い”“絆”を強め連帯・共闘を強化》
部落解放運動の発展の地「近畿(大阪)」と「九州(福岡)」。中学一年生の時から部落解放運動に身を投じてきた管理者としては、FB投稿欄に「安倍批判」は山ほどあるが、「部落問題」には殆ど目に触れないのは残念+不可触差別すら感じる。
それはそれとして、部落解放共闘近畿・九州ブロックの第32回交流会が9月8、9日の2日間の日程で、大阪市淀川区のホテルマイステイズ新大阪で開かれたので、これを報告し、今後の議論の契機としたい。大阪から34人をはじめ近畿5府県共闘から66人、九州7県民会議から27人、中央共闘から1人の94人が参加。大阪からは自治労、大阪教組、JP労組、大阪職安労組、女性会議、解放同盟、大阪青年共闘、大阪清掃人権問題研究会、浪速・西・港・大正区民共闘、泉佐野・田尻・熊取共闘等が参加した。
近畿ブロックの濱野幸紀副議長(和歌山県共闘会議議長)が開会挨拶。
座長に兵庫県民共闘会議の西岡裕事務局長(近畿ブロック事務局次長)と大分県民会議の松田光平事務局次長を選出。近畿ブロックの山口勝己議長(大阪府民共闘会議議長)、九州ブロックの宮崎辰弥議長(長崎県民会議議長)が各々、挨拶し、熊本地震や九州豪雨災害、大阪北部地震や台風21号災害など「災害」について考えさせられる事が多々あると指摘、「災害と人権についてしっかりと考えていきたい」と強調した。
更に、いつ災害に遭うか分からない。防災、減災へ日頃からの対策の必要性を述べると共に「世界人権宣言70年にあたり、先輩達の平和・人権・自由のための活動が73年間、戦争をしなかった」と指摘。「これから先へと繋ぐ交流会に。自分で考え、行動をしていくため学んだ事を各地域に持ち帰り活動を」と呼びかけた。来賓として部落解放中央共闘会議の高橋定事務局次長、解放同盟中央本部の坂本三郎副委員長が激励の挨拶をした。
交流会基調を近畿ブロックの村井康利事務局長(大阪府民共闘会議事務局長)が提案。
両ブロックからの報告では、九州から佐賀県民会議の小宮晴樹幹事と近畿からは滋賀県民会議の小澤和彦事務局長が各々、活動報告を行った。また特別報告では「『大阪都構想』反対の闘いと大阪の未来」~反組合、反人権・福祉の維新政治との対峙~と題して大阪の山口勝己議長(自治労大阪府本部委員長)が報告。更に地元報告として「大阪における解放運動の現状」と題して、解放同盟大阪府連の赤井隆史委員長が「まちづくり」「ひとづくり」「つながりづくり」「水平社会づくり」への挑戦やフードバンク活動等について報告した。
夜の懇親会では解放同盟大阪府連の赤井隆史委員長と宮崎県民会議の中川育江議長(連合宮崎会長)が挨拶。乾杯を京都地方共闘会議の村井一成議長が行い、兵庫県民共闘会議の川原芳和議長が両共闘の更なる前進を訴え、交流を深め両共闘の絆を強めた。
来年の交流会は福岡で開催することも確認した。「安倍政治の裏側に部落差別有り」
今後、読者の皆様も「部落差別」にも前向きな関心を寄せて頂ければ、ありがたい。(基本文献-解放共闘大阪/管理者:部分編集)
《【マスコミの歪】望月衣塑子・東京新聞記者論評:ジャーナリズム批判》
<『司法判断は正しいのか』>
Q:英国BBCは元TBS記者の山口からの準強姦被告を訴えるジャーナリストの伊藤詩織さんを取材したドキュメンタリー番組を後悔しました。伊藤さんを取材した望月さんは、どう受け止められましたかー?
A:この番組は伊藤さんの事件をきっかけに、日本では性被害者が声を上げられない状況があり、女性の人権が尊重されていないのでないかという問題を提起しました。
伊藤さんの事件では東京地検が不起訴処分(嫌疑不十分)、検察審議会が不起訴相当を出しています。メディアは起訴されたらバンバン取り上げたと思いますが、不起訴だったので大きく取り上げることはありませんでした。一方BBCは外国で不起訴になった事件なのに、社会問題として真摯に取り上げました。もしもイギリスで同じような事件が起きていたら、例え刑法上の責任が問われなかったとしても、ジャーナリズムは、そこで止まらないで、なぜ起訴されなかったのか、その判断に至るプロセスに問題はなかったか、社会の在り方はどうなのかというところまで踏み込んだと思います。だから伊藤さんの事件で痛感させられたのは、日本のジャーナリズムは「権力を監視する」とは言いながら、こと刑事事件に関しては権力の判断を絶対視しているということです。
例えば「起訴」「不起訴」が報道するかどうかの分れ道になっています。
もちろん「推定無罪の原則」はありますが、「証拠不十分」というのは「有罪にするだけの証拠が集められない」ということしか言っていないのです。ところが「検察が起訴を出来なかったということは、不法行為そのものがない」と考えがちです。
結局「起訴なら書く」「不起訴なら書かない」という機械的な報道姿勢になってしまいます。メディアは取材や検証に基づく独自の判断ではなく、検察の判断に従って報道している。ところが実際には警察や検察は数々の冤罪事件を起こしていますし、証拠がないのに起訴したり、逆に証拠があるのに起訴しなかったりしている訳です。
だから本来は、不起訴処分の根拠は何か、捜査に問題がなかったか、現場の本音はどうだったか等、真実を調べていかなければいけない。日本のジャーナリズムには「お上が言うのだから間違いないだろう」と無批判に権力の判断に従い、知らず知らずの内に権力に縛られながら、権力の手駒として報道してしまうような所があると思います。
でも、ただ単に当局幹部から貰った情報を伝えるだけなら政府広報と変わりません。
私自身の自戒も含めて、こういう「お上至上主義」とは決別しなきゃいけないと思います。(基本文献-孫崎享のつぶやき/管理者:部分編集)
《【コラム】風化した「国際反戦デー」の真の由来》
最近、FB上で「『国際反戦デー』は日本だけのもの」という揶揄的・後退的な投稿を見たので、敢えて本ブログで「それは少し違う」と批判したい。投稿者は「まだ若輩の意見」との感もするが、管理者は、70年前後は「べ平連活動」の真最中で、「生き証人」として反論に耳を傾けてもらいたい。国際反戦デーとは毎年10月21日のことで、これぐらいは多くの人が知っている。その発祥由来は1966年10月21日に、日本労働組合総評議会(総評)が『ベトナム反戦統一スト』を実施し、国際的にも呼びかけ、それに呼応して、米国・ヨーロッパ諸国等、全世界の反戦運動団体も、集会・デモ等々、「ベトナム戦争反対」運動に取り組んだ事に由来する。従って「『国際反戦デー』は日本だけのもの」でなく、「日本発-10・21国際反戦運動の始まり」というのが正確な表現である。
特に70年前後の「国際反戦デ―」は、「70年安保闘争」と結びついて、大阪でも2~3万人集会・デモは当たり前。当時の機動隊は「ヘルメットとジュラルミンの盾」が定番だったが、何せデモ参加者の、あまりの多さに「機動隊のデモ規制」の方が決壊し、大阪-御堂筋では道幅いっぱいに手をつないで広げ合う、いわゆるフランスデモで難波-高島屋の前まで「We shall oyer come」をビルの谷間に響くほど唄い合い、感動的だったのを覚えている。今では「国際反戦デ―」も、学生運動への弾圧もあって、相当に風化しているが、それでも今なお、この日に合わせて各種団体が集会を開いている。
なお当時の反戦運動を実体験していない世代に誤解無きよう申し添えるが、よくマスコミで出てくる「学生のヘルメットとゲバ棒-政治党派(新左翼)」スタイルは、全体の1/4にも満たないぐらいで、ピーク時では圧倒的にべ平連や各大学自治会やクラス代表者会議等の「丸腰ノンセクトラジュカル」が殆どだった。学生運動が衰退していった過程は、管理者の評価も含めるが、「学生のヘルメットとゲバ棒-政治党派(新左翼)」の内ゲバと過激な「学内封鎖・機動隊対決」等に学生が離反していった事に加え、国家権力も「大学の運営に関する臨時措置法(別名:大学管理法)」を制定し、学内に機動隊が常駐し、「数人、集まれば解散を命じる」という弾圧に本腰を入れた事が大きいと思われる。
よくマスコミは「東大-安田講堂立て籠もり事件」や「連合赤軍事件」等々の映像を映して「これが『学生運動だ』」と印象操作をするが、あの事件当時は学生運動でも「末期の末期」で、最後の特異な事件だと断言する。それはそれとして、当時の「団塊の世代と近き世代」と現代の若者等と比べると、シールズ琉球を除いて「然したる弾圧もなく、戦争法制に負けた途端、『就職が震える』で、自主解散」したシールズ等、今の若者連中よりは「理論学習量と言い、真剣み」と言い、質的に大分、高かったと言わざるを得ない。
因みに「イチゴ白書をもう一度」で出てくる歌の文句「髪を切ってきたとき、『もう若くはないさ』と、君に言い訳したね」の「髪を切ってきたとき」は四回生の夏休みの時の事だ。最後に管理者自論であるが、我々「団塊の世代と近き世代」が、平和運動を行ってきたのは、実際にベトナム戦争もあって「自分達の世代の平和は、自分達で守るべき」との自覚があっての事。今の若者も無関心は止めて「自分達の世代の平和は、自分達で守れ。我々『団塊の世代と近き世代』は老いらくの生活で、精一杯!」が、率直な感情的心情だと申し上げる。(文責:民守 正義)
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《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》
①職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
③採用コンサルタント。
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(民守 正義)
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